Thumbeline(おやゆびひめ)/Lisbeth Zwerger(リスベス・ツヴェルガー)

ずっと以前にふってくれリストに登録していた「はてなダイアラー絵本百選」。待つことしばしでしたが、ようやく本日id:shionoさんより回ってきました。すでに一冊はあたためてあったので、早速。

リスベス・ツヴェルガーの絵によせて 


子供の頃、絵本を捲った記憶と言えば、ひなたの記憶である。いつでも温かくて、心配事のない日なたぼっこのような記憶である。


その記憶に、いつでも少しだけ影がさしている。冷たい不穏な記憶が混じっている。突然お日さまが雲に隠れてしまうような。突然冷たい風が頬をなぜていくような。突然身をすくめてしまうような。私を心安らかにしておいてはくれない記憶が混じっているのである。


その記憶の正体が「リスベス・ツヴェルガー」の描く絵本だったのである。


彼女の絵を見たことがあるだろうか。細い硬質な線、淡い薄暗い色あい、写実的な動物たち、どこか悲しそうな人物たち。彼女の描く絵本の世界は、どこか不幸せな感じがしてくるのである。どこか息苦しい感じがしてくるのである。


彼女は絵本作家(画家)である。アンデルセンやグリム、オスカー・ワイルドといった古典的な物語の挿し絵をたくさん描いている。私が知っているだけでも「おやゆびひめ」や「あかずきん」「ヘンゼルとグレーテル」「賢者の贈り物」「くるみわり人形とねずみの王様」といった有名な絵本の挿し絵を手がけている。だから知らず知らずに目にしている人もいるのではないだろうか。


実を言ってしまえば、私とてその絵に触れた頃の記憶は、曖昧だった。何時だったのか何処だったのか。家の縁側でだったのか、学校の図書室でだったのか、もっとずっと小さい頃保育園の本棚だったのかも、よく覚えていない。覚えているのは、その空気感で、彼女の絵の持つ何だか悲しい感じとか、冬の日の寒い寒い感じとか、子供心に見てはいけないものを見てしまった感じ。なのである。


そして「リスベス・ツヴェルガー」という名前に行き着いたのも、実は江國香織の「絵本を抱えて部屋のすみへ」を読んだからで。それまでは、私の中にうっすらと残っていた記憶が、本物なのか。それともその頃、私が見ていた夢の記憶なのか、もう判断が付きかねていた。だって私はツヴェルガーの絵と似た夢を、よく見るようになっていたから。


ツヴェルガーという名前に出会って、図書館で彼女の本にたくさん出会うことが出来た。今では中々手に入りづらい物もある、彼女の絵本たちを、私は図書館に通って、たくさん手に取ることが出来た。そして、私はだんだんとそしてはっきりと彼女が好きになっていくのを感じていた。


改めて彼女の描いた「おやゆびひめ」を捲りながら、あの日私が感じていた「見てはいけない物を見てしまった感じ」はなんだったのか「どこか不幸せで、息が詰まる感じ」はなんなのか、考えてみる。何十年と年月を重ねた今になっても「その感じ」は変わることなく私に伝わってくる。それは「花の王子」に出会ったからとて変わらない。しあわせな結末を迎えたからとて変わらない。何だか痛ましい。何だか行き場がない。温かい毛皮や羽毛に包まれた動物たちに比べて、人間の姿形をしている「おやゆびひめ」は寒そうで淋しそうで空腹そうで心細げだ。無防備で弱々しい。むしろ人間はどんな動物よりもみすぼらしいのかもしれない。そんな気持ちにもなってくる。


だから、ねずみの穴ぐらの戸口に立っているのが、まるで私自身のような気持ちにもなってくる。


子供の頃に感じた「あの感じ」とは、きっとはじめて感じた気持ちだったのだ。自分は行き場などないと、自分がちっぽけでみすぼらしくて淋しい者だと、突きつけられた最初の記憶だったんではなかろうか。

どんな日だまりにでも、闇はある。それを知った始まりだったのではなかろうか。

Thumbeline (A Michael Neugebauer book)

Thumbeline (A Michael Neugebauer book)

次に回す方は、ふってくれリストの中から、お話したことはありませんがid:camelopardalisさんに(デザインが可愛らしい)、ご挨拶を兼ねて回してみたいと思います。よろしくお願いします。