流星ワゴン/重松清

makisuke2006-08-07

流星ワゴン (講談社文庫)
この本を手に取ったきっかけは、ゲンノさんの日記を覗いたから。重松清は以前に一冊読んでいたけれど、その時はまったくピンと来なくって、それっきり疎遠になっていた人。私も終盤は、ただただひたすら涙を垂れ流しながら読んだ。この本は、私には痛かった。痛くて痛くて痛くて辛い本だった。人生にはたくさんの分岐点があって、それを分岐点だとも気が付かずに通り過ぎていってしまうのな。生きていくことも死んでいくことも、後悔と懺悔の墓場のようなものかもしれない。おそらく叶わないだろうなぁと思いながらも、主人公の「やり直し」がどうぞ叶いますようにと、半ば祈りながらも読んだ。

僕は未来を知っている。未来が変わらないことも覚悟している。それでもーー信じる。僕は、僕の息子が信じる未来を、信じる。息子が未来を信じていることを、信じる。

未来を知っているということは、知ってどうにも出来ないということは、こんなにも残酷なモノかと思いながら。それでも、「ある」姿がどんなにボロボロであろうとも「ありたい」と願う姿だけが、私たちを導いてくれるようにと祈りながら。それがきっと、信じるということだろうから。

やっとわかった。信じることや夢見ることは、未来を持っている人だけの特権だった。信じていたものに裏切られたり、夢が破れたりすることすら、未来を断ち切られたひとから見れば、それは間違いなく幸福なのだった。

この日この時に、この本を読んでよかった。私の未来もなにも変わらないかもしれないけれど、それを覚悟しているけれど。奇跡の逆転も、ハッピーエンドも用意されていないかも、しれないけど。私にはまだまだ未来はあるのだから。私は間違いなく幸福なのだと、そう思った。