バスキア/ジュリアン・シュナーベル

バスキア [DVD]どんな映画が好きかと聞かれれば、なんと答えるだろう?おそらくは・・・大作、超大作は、気分がのらないと手が伸びず。名作、不朽の名作は、身構えてしまったりもして、素直には楽しめず。従って、その狭間にあるような、街のざわめきみたいな、ゆるい気分みたいな、とりたてて言うこともないような、そんな映画が好きなのだと思う。たばこの煙みたいな。少しだけ辺りをくゆらして、ふっと消えていくみたいなそんな映画。そんな映画を見つけると嬉しくなって、誰かに長い長い手紙を書いたりもする。「なんか、ちよっと良かったよね」とか、以上でも以下でもない呟きみたいな感想をもらしたりする。「バスキア」もそんな映画。少し退屈に映るかもしれないぐらいの。 そんな映画。


バスキア」を観ていない人でも、彼の名前は知っているかもしれない。彼は画家としてある時代を、生きていた人だから。ーそれはかなり前のこと。伊勢丹美術館でやっていた「バスキア展」を見に行った。イモウトとトモダチと三人で。NYの落書きアート。そう呼ばれていた彼の作品。本物の彼の絵は、雑誌や小さな記事には収まらない力強さがあった。もっと大胆で速攻力があって緻密で理屈がなかった。目の当たりにしてもっと好きになった。この目でみなくっちゃだわと、改めて思った。わたしのこのアンテナに引っかかったモノなら、残らずすべて。この目で見て、触れて、感じてこなくっちやだわと。雑誌や小さな記事なんかでは伝わらないモノ、収まらないモノが必ずあるから。息遣いや筆遣いや、本物のイロや、を、みてこなくっちゃ。その時の彼の意識のカケラを感じてこなくっちゃ。出来ることなら、対話までしてこなくっちゃ。だわ。だわ。だわ。と、本物を見る度にわたしは思うのだ。その放つエネルギーを感じてこなくっちゃ。何もはじまらないんだって。


バスキア」は自分のお気に入りの物たちに、それが怪獣であれ、人間であれ、名前であれ、記号であれ、素敵なきんいろの王冠を飾っていた。それが彼のお気に入りの印だった。だから単純なわたしたちはすぐに真似をして。手紙の頭には、うやうやしく少しひしゃげた王冠を付けあったっけ。


彼が二十七歳でこの世を去ったこと。それが麻薬のやりすぎによる緩慢な自殺だったこと。それは、彼の絵と同じくらい有名で、彼の絵に惹かれる人は、その逸話ごと、愛しているのかもしれない。この映画も、彼の最後の何年かの映画ではある。だから、観るものは結末を知っている。それは確かに悲しくもある。でも、これは、そんな映画じゃなかった。


見終わって残っているのは、バスキアが幸せそうだったこと。そればかり。そればかり。ふらふらと歩くバスキアの歩き方。笑い方。落書きの仕方。車からカラダを乗り出して、風を受けている姿。そして、自転車。ヒトリ自転車を漕ぐバスキアの幸せそうな顔。クリアさ加減。世の中との馴染み具合。溶け具合。恍惚感。満ち足りた気分。


有名になりたかった彼。絵がただただ描きたかった彼。音楽や仲間と過ごしたかった彼。彼女を愛していた彼。誰かにいつも側にいて欲しかった彼。どれも本当だけどーあのままずっと自転車を漕いでいられたら、そんなモノ何もいらなかったのかもしれないーそんな時間がただ欲しくって、人は生きているのかもしれない。だからわたしは、自転車を漕ぐバスキアを見て、泣いてしまうのかもしれないね。