漫画を読む日々

透ける新緑


少しだけ漫画を読むことをサボっていました。このサボりは、不本意なサボりです。漫画には漫画でしか辿り着けない世界というものが確実にある。あったのだよ。ということを思いだして。その世界というヤツに触れるのがわたしはとても好きなのだ。好きだったのだ。ということも思いだしました。ので、これからは今までどうり勤勉に読んでいきたい。このブランクを埋めるべくむしろアグレッシブに読んでいきたい。もしもアナタのオススメなどがあったなら、積極的にすすめられて読んでいきたい。という決意表明をここに。

魔女 第1集 (IKKI COMICS)五十嵐大介をはじめてよむ。「魔女 第一集」。ずっと五十嵐大介の絵柄が苦手じゃなかろうかと、勝手に敬遠していたのだけど、手に取って読み進めるうちに、この絵柄が、描かれている世界の感じが、まさにわたし好みで、とても好きなんだということに簡単に気が付く。そして、いままで敬遠していたということを軽く後悔する。少し頼りなげな細かい線がたくさん集まると、こんなに力強い世界に変わってしまうのかと、しばし見入る。漫画だけが辿り着ける世界にしばしうっとりする。匂いや湿気や温度が伝わってくる絵がいいなあと思う。光と闇。内側と外側。目に見えることと見えないこと。生きることと死ぬこと。そういう相反することがきちんとあって。いろんな物事の境界線が曖昧で。正しいとか正しくないで割り切れないトコロ。いろんな人の想いで世界が成り立っているトコロいいなあと思いました。五十嵐大介。これからはずっともっと読んでいきたい人見つけました。

not simple (IKKIコミックス) Danza [ダンツァ] (モーニング KC)オノ・ナツメをよむ。「not simple」と「Danza」という短編集。まずはぐりんとした目が印象的な絵柄がいいなあと気に入った。ナナナンは少し伏し目がちの目の感じがいいんだけど、オノ・ナツメは上目遣いの溢れそうな大きな目がいいんだなあ。繊細な感じのすらりとした線もすごくいい。物語もしっかりしていて「not simple」なんかは、ポール・オースターの小説の匂いが濃厚にした。短編集も人と人が関わるということがしっかり書いてあった。まだ二冊しか読んでいないけど、オノ・ナツメという人が、人と人が関わり合うということをすごく大切にしていることに簡単に気が付いた。誰かとしっかり繋がっていたいという気持ちがひりひりと伝わってくる。大きなこぼれ落ちそうな目は、言葉以上にいろいろをわたしに語りかけてくる。わたしは何度も何度も休みながら読んだ。本を少しだけ閉じては大きく息をついて、読み進めるという具合に。時間をかけてこの人の本を読んだのだ。


「本当に感じたいのは、もっと近くにいる人たちからのぬくもりなのに。」

アンダーカレント  アフタヌーンKCDXここにも「不在」というモノが書いてあった。豊田徹也の「アンダーカレント」。川上弘美の「真鶴(http://d.hatena.ne.jp/makisuke/20080303#p1)」ほどの暴力的な悲しみはないけれど、やはり「不在」というモノの暴力の匂いを思いだした。水が濁り静かに淀み腐っていくような「不在」。そこここに笑いはあるのだけど、晴れ切ることのない表情と死んだような目が何度も何度もわたしに語りかけてくる。「不在」というモノの暴力を。それによってぐいっと捩じ曲げられてしまった物語を。わたしは静かにゆっくり沈んでいったのだ。それ以外思いつかないといった具合に。「完」の文字を目で追ってー男も女も空っぽのまま寄り添っていたのだなあということに、クラクラする。空っぽの自分に新しい誰かを押し込んで生きていたんだなあということに。そして人は生きていくために、先に進んでいくために、いろんなことを見ずに済ませてしまうんだなということを思いだす。不穏や不信はいつも何かが決壊してしまってからでないと分からない。ひたひたと寄り添ってくる影が拭えないほど大きくならなければ分からない。いや、分かっていても人は分からないでありたいという生き物でもあるのだな。それでも、と、もう一度考える。人と人は本当に終わってしまうという覚悟がなければ、向き合えない生き物なのかもしれない。空っぽと、新しい誰かを詰め込んでいたはずの自分でも、それはやっぱり自分なんだと。ズレのような、違和感のような、人と人との間に生まれてしまう溝は、必然のようなモノで、永遠になくならないモノなのかもしれないけれど。それでも、どこかに、希望のような匂いを嗅ぎつけて、人は人と関わり続けていくんだと思う。そんないろんなことをまざまざと思い出させる漫画であったことよ。