田植えの合間に腰を伸ばして顔を上げると、そこにはやっぱり山が見えた。

お母さんの育てたアイリス



写真は去年の田植えから、晴れた日のフルサトの五月


  
 


田植えの手伝いにフルサトに帰る。仕事帰りの新宿から高速バスに乗って、一路フルサトの地を目指す。一度の休憩を挟んで、三時間ばかりで到着することが出来る私のフルサトは、海はないけれど山と空がある。もとい、山と空しかないようなところと言った方が分かりやすいのかもしれない。バスから降りると随分寒くてびっくりする(東京も随分寒かったみたいだけど、何せ滞在中にミゾレが降ったぐらい!)。土曜日は一日雨が降っていた。みんなで一日中雨の止むのを待って終わった。途中からはすっかり待っていることさえ忘れてしまったけれど、それでも一日中待っていた。待ちながら、掃除をしたり温泉に出掛けたり馬刺しを食べたり甥っ子や姪っ子と遊んだりみんなで昼寝をしたりした。夜は何枚も布団を繋ぎあわせてみんな一緒に眠った。寝相の悪い甥っ子君に何度か蹴られたり抱きつかれたりしたけれど、朝までしっかり眠った。日曜日はまだ雨が降っていたけれど、だいぶ小雨になったことだしせっかく集まったのだからということで、合羽を着て田んぼにはいった。田植え機が植え残していった所を探しては、田んぼを歩いた。一歩一歩歩きながら全部人の手で植えていたのは、わたしが高校生ぐらいまでだったなあ。小学校の頃は、土曜の半日が終わると大急ぎで田んぼに駆けつけたっけ。親戚のおじちゃんやおばちゃんが賑やかに集まっていて、早くみんなに合流したくって、あそこで食べるごはんやおやつ(お茶)が楽しみで、ランドセルをカタカタ鳴らしたものだっけか。アカシアの花が咲いていて甘い匂いしてたっけなあ。

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田植えの合間に腰を伸ばして顔を上げると、そこにはやっぱり山が見えた。もとい、やっぱり山と空しか見えなかった。だけど、山が見えて空が見えた。雨に煙る山には白い靄がかかってた。山の中腹に白い靄を纏った山は、水墨画のような美しさだった。その風景が「美しいものだ」ということに、わたしはこの土地を離れてから気が付いた。そのことを思いだした。そして、はじめて目を上げて、顔を上げて、ぐるりとふるさとを「見た」日のことを思いだした。フルサトを「見る」という行為をはじめた日のことを。思いだしたらこの映画→(http://d.hatena.ne.jp/makisuke/20011024#p1)をもう一度みたくなった。わたしに「見る」ということを思い出させてくれたこの映画を。