カイフクキを支えた作品たち その2

介護福祉士、筆記編。めでたく合格した様子です。本日実技試験の受験票が郵送されました。たくさんのおめでとうをもらって嬉しい気分。報われた気分であります。実技は毎日のことだけれど、重箱の隅をつついたような減点合戦との噂。またしばらくは実技勉強会に通わなければ。


息子のまなざし [DVD] しあわせな孤独 [DVD] プリシラ [MGMライオン・キャンペーン] [DVD] ビヨンドtheシー ~ 夢見るように歌えば ~ [DVD]

  • 息子のまなざし」「ある子供(http://d.hatena.ne.jp/makisuke/20051227#p1)」を見た時にもそうだった。音もなく流れていくエンドロールを見つめながら、この映画の中に音楽が全く流れていなかったことに気が付いた。気が付いて、それがちっとも不自然でなかったことにも気が付いた。のだ。アップの多いこの映画を私は気が付くとじいっと見入っているのだけれど。役者は乏しい表情で豊かに伝えてくる。カメラはとてもフラットで。物語に溺れることがない。私はそのフラットな視線を借りて、ただ見ることに溺れている。溺れながら、たくさん思った。いろんな人の抱える生きにくさとか。それでも一歩踏み出す人たちの健全さとか。音を必要としない、この映画には。イキトシイケル人間がたてるかすかな音が、豊かな音楽だった。
  • しあわせな孤独」一言で言ってしまえば、私はこの映画が好きではない。映画としての作り(映像の種法的なモノや画面の色合い)も好みではないし、ストーリーも。それでも見終わって長くココロに残り、いろいろ考えずにはいられなかった。この映画の中にあるのは、不幸の連鎖みたいなモノ。一つの不幸が不幸を呼び。マイナスの磁場みたいなモノが強く働いているように思ったりする。皆が皆同じ所にはいられなくなってしまった。それぞれの思いがタガが外れたようにあふれ出してしまった。それだけでも充分に私を悲しませるのに。それぞれが引き受けなくてはならないモノ(失ってしまったモノ)の大きさの違いに、私はやはり納得がつかないでいる。当たり前だけれど、人は不公平にできている。そんなシンプルな怒りに長く納得できないままでいる。事故でカラダの自由を奪われ、恋人を抱きしめることもままならないヨアヒムと。彼に拒まれたことを埋めるように違う人を求めるセシリ。セシリと恋に落ちるのは、加害者の夫で。加害者の家庭も二人の恋によって壊れていく。人が人を求めるのは、理屈ではない。セシリはココロに忠実に動いたのだし、加害者の夫もそう。妻を可哀想にも感じるけれど、結局彼女はヨアヒムの人生を奪ってしまったという事実にキチンと向き合っていないのだ。それでも、誰の気持ちも痛いほど分かる。恋人に拒まれることに疲れてしまったセシリの悲しみ。悲しむセシリを受け入れるしかなかった加害者の夫。家庭を捨てて出て行く夫を引き止める術のない妻。自分の体が壊れてしまったことで、恋人を受け入れることが出来なくなってしまったヨアヒムの苦しみ。皆の気持ちがバラバラに飛び込んできて、私は最後までやりきれず、辛かった。誰の気持ちも分かってしまうから。ただ、ヨアヒムが最後にセシリにきちんと愛情を伝えられたことだけが。救いといえば救いかもしれない。映画の話なんだけれど、彼のこれからの幸せを祈らずにはいられなかった。どうか、しあわせに。ココロ安らかにと。
  • プリシラ」3人のドラッグクイーン(女装のゲイ)が大自然の中、バスに乗って真実の愛を求めて旅をするロードムービーなのだよ。一言で言えば。映像と音楽と人々と。満腹になった。ド派手な衣装と荒々しい自然のコントラストがとてもとてもウツクシイ。音楽もひたすらいい気分。ただそこにいるだけで、人生を感じさせる人たちというのが、確実にいて。そういう「濃い」人たちを見ていると、私はとても無邪気になって。安心した観客になるみたいだ。私は膝を抱えてすっごくいい気分で最後まで観賞しましたっ。ホントに満腹。
  • 「ビヨンドtheシー/夢見るように歌えば」戦後アメリカのショービジネス界で活躍したボビー・ダーリンの生涯を、ケヴィン・スペイシーが自らの監督・主演で映画化した伝記映画ケヴィン・スペイシーは大好きな役者さん。歌も見事で、楽しく見た。音楽映画は、文句なく楽しいなぁと思う。「Ray(レイ)」や「ウォーク・ザ・ライン/君に続く道」や「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」や「ボブ・ディラン/ノー・ディレクション・ホーム」や。もっともっと。人の生涯の映画を見ると、人は何処かには留まれず、絶えず動いていくものだなぁということを実感させられて、少しだけため息をつきたくなるけれど。ならばこそ、一時一時を大切にしようかとも思えてくるものだ。言わなくても分かることなんて、存在せず。一時一時キチンと伝えていかなかったら、気持ちだって思いだって、どこかへ動いて無くなってしまうんかもしれない。なんて、そんな考えごとを映画を見ながらしておりました。