実験4号/伊坂幸太郎×山下敦弘

実験4号遅くなった。遅くなったけど、今夜、例のモノ読んで、ンで観た。そして今聴いてる。CDラックをごそごそやって「リハビリ中断」引っぱり出してきた。あと「とどめをハデにくれ」も。それだけじゃ足んなくって「ブッチメリー」も2枚。「実験4号」って曲。わたしはいつも落ち着いて聴けたことがないンだな。今だってそうだよ。苦しくなるし、実際苦しくなってる。この曲にはわたしの物語ってヤツが嫌になるほど重なってる。あっつ、そういう意味じゃあ「実験4号」に限ンないよ。ピーズの曲はみんなそうだ。ストーリーってんじゃないんだけど、フラッシュバックみたいに浮かび上がってくる残像みたいな映像で出来上がってるみたいだから。直視する自信なんていつもないから、目を堅くつぶってやり過ごそうとすンだけど、目を閉じたら見えなくなるような、そんなもンじゃないんだよ。置いてかれることが、取り残されることが、死ぬほど嫌いなわたしが。だけど逃げ遅れて、タイミング外しまくった、あの日のわたしってヤツがみえるから。だけど、あがいてもがいてなんかまた作りたがってるおーじょーぎわの悪すぎる自分てやつが見えるから。って、ある意味ドキドキしながら読んで観たけどさ、伊坂幸太郎の「後藤を待ちながら」も山下監督の「It's a small world」も、どっちも以外によかったよ。伊坂幸太郎は、小説がどーとかいうんじゃすでにないけど(ごめンね)、はるのインタビューをこうやって読ませてくれて、ありがとーって、単純に感謝だ(ゴールデンスランバーはすごく面白かったからさ、そっちの方はココロ込めて感想書くから、今回は許しておくれね)。山下監督は、相変わらずいい距離の取り方だよって思った。人をくってるよ、すごくナチュラルに。この人、やっぱり好きだわって思ったよ。ピーズのこと好きかどうかもわかんないもん。手の内見せずに、だけど、わたしをちよっと泣かせたんだから。子どもたちの顔がいいね。なんかバカみたいに楽しそうでアホみたいに楽しそうで、ンで悲しくなったよ。悲しいけど、明るかったよ。きっちりちゃんと。

ブッチーメリー The ピーズ1989-1997 SELECTION SIDE Aブッチーメリー The ピーズ1989-1997 SELECTION SIDE Bリハビリ中断とどめをハデにくれ

昔書いた自分のレビュー↓に、あらためて自分でぐっとくる。わかくてあつくてかわらいね自分。自給自足でハッピーで、そんな自分に安心した夜。わたしもまだまだ。末期的な夕焼け空みたいな。悲しいことなのに明るいような。そんなこんな。きっとある。きっとーっと。

ずっと具合が悪くって発熱と吐き気と生理痛の苦しみの中それでも電車に乗っかって仕事に行く。誰に何と言われようと、アタシにとってはギリギリな状況だ。随分吐いたし、少しだって胃の中に食べ物があったら、もうたまらなくむかむかとしてくるわけだ。それでも行かなくてはならない場所があり。しなくちゃならない仕事がある。ギリギリだ。だから丸まって。アタシはこの世の果てを思う。丸まって。腹を押さえて痛みと熱で気が遠くなりながら薬をバリバリ噛み砕いて、この世の果てを夢想する。

とどめを とどめを とどめをハデにくれ
夢は見た やり尽くした 打ち止めだ おらオサラバだ

この血の流れが終われば、ウソみたいに引いていくこの気持ち。だけどアタシは簡単にだめンなる。面白いように簡単にだめンなる。だめンなってだめンなって。紙クズみたいなくしゃくしゃな気持ちンなる。ぬかるみみたいなぐちゃぐちゃな気持ちンなる。 そう、あの頃のアタシみたいに。

シニタイヤツハシネ シニタイトキニシネ
シニタイトキニシネ シニタイヤツトシネ
シニタイヤツハシネ

だから、ピーズをヘッドフォンから流してる。ふらふらの体で聞いている。酸素マスクみたいに点滴みたいに輸血みたいにどぼどぼと流してる。アタシをこの世に感染させないために。どぼどぼどぼと流してる。頭が痺れて何にも考えなくなる。そしたらやっと息がつける。 すべてが消えてしまうように。 ボリュームを上げていく。上げて上げて上げていく。気が遠くなる。私の下らない脳味噌もアタシの重たい血袋も砕け散ってしまうぐらいの爆音で聞いてやる。

やりたい事が多すぎて 何にもやりたくなくなっちまった
やりたくない事が多すぎて 何にもやりたくなくなっちまった
会いたい人が多すぎて 誰にも会えなくなっちまった
考えることが多すぎて どうでもよくなっちまった

ピーズを聞く度に、アタシは切羽詰まる。切羽詰まって身動きが取れなくなる。切ない歌もある。バカみたいな歌もある。カラダが反応する歌がある。苦しくなる歌がある。ラブソングもある。それでもアタシはその度に性懲りもなく切羽詰まって立ちすくむ。どの歌にも平等にどの歌にも隔たりなく。私を切羽詰まらせるもの。それは、その一途さにだろうか?そのストレートさにだろうか?それは何故だか分からないけど、1曲1曲を聞く度に向かい合わずにはいられないのだ。


彼らの1曲1曲は混じりっ気がない。難しくもない。言ってしまえば、バカみたいに単純に私の耳には届いてくる。言いたいことはヒトツ。たくさんは詰まっていない。その潔さはを思う時、それは痛ましさでもある。決して他人事ではない痛ましさ。彼らは一直線に終いに向かって疾走している。それを私は見物している。 羨ましい気持ちとザマアミロの気持ちと。いろんなものが綯い交ぜの気持ち。


巷に溢れる新しい人たちの新しい歌の、複雑さや精巧さやセンチメンタルさやオシャレさを思う時。私はそれらのスバラシサが全然分かってなくって、全然求めていないことに気がつくんだ。そんなもの要らない。ちっとも要らない。そんなものじゃあ、この世の果てに置いてきぼりなアタシは救われたりしない。私が欲しいのは、そんなもんじゃない。

ハンパな笑顔でこっちだけ見てた 
にぎやかなラストにわざと一人
傷を舐めあうのさ 痛みが分かるのさ
確かに未来が昔にはあった
ゆーワケで せっかくだし 悪いけど
続くよ まだ二人いる
何かまたつくろう 場所は残ったぜ
君と最悪の人生を消したい
そして最悪の人生を消したい


今日ピーズを聞いていて、心の底から死にたいと、そう思った。


そして、腹が減った。